何かを成し遂げたい時
何かをどうにかしようと抗うこと、無理に操作すること、こうした方が絶対に上手くいくはずだ…
と、ジャッジメントしたり、コントロールしたり
それは、実は自然の流れから外れていって
逆に上手くいかなくなってしまうことがあると感じます。
彼女が欲しい!
結婚したい!
と、願い続けていた時は、できなかったけど
諦めたら、すんなりできた。
執着やコントロールは、願望以上に、願望の裏側「これだけはイヤだ!」が強く意識され
その、イヤな結果を引き寄せてしまう。
病気を治したい!
と、クスリを飲んだり、体操したり、筋トレしたり、余計なサプリ
何やかんやと、刺激が増えれば増えるほどに、逆の結果を招いてしまう。
諦めた時
突然、物事が上手く進みだす、よくある話し。
ぼくは、こんな仕事をしていますし、人様に健康を説いたり、アドバイスする立場ですが
過去には具合が悪過ぎて、もう死ぬんだな…と思う時期がありました。
心臓や肺が苦しく、背中が砕ける程の痛みで夜中に目を覚ましてしまう。
夜が怖い…
寝るのが怖い…
布団に入ると、背中の激痛で目が覚めるからです。
でも、そうなるには原因があり、そうなるべく生活習慣を送っていたからですね。
本当に不摂生していました。
「自分の"生"は、ひと通りやってきた。
まだまだやりたいことや、経験できることもあるかもしれないけど、もういいか。」
「今日死んでも、とりあえず悔いはない。自分が生き長らえることで、税金の無駄になるだろうから、苦しまずとっとと終わりにしよう。」
「どうせ死ぬなら、最後に何かやりたい事やろう。保険も何もかんも解約して、好き勝手にして死のう。」
と、すべてを諦めた瞬間から、不思議なことに体が回復していきました 笑
まだ、自分にはやるべきことが残っているのかなぁ…と思うようにしています。
この経験から、様々に困っている方に、適切にアドバイスができるようにもなったし、死ぬほどの思いは無駄ではなかった。
施術する上で、ぼくが心掛けていることは
「原因を見つける」だけ。
「治そう」「治れ!」「こうした方が良くなる!」
などの、コントロールをできるだけ考えない。
原因を見つけ、ただそれが
"どうなれば原因は、原因として機能しなくてよくなるんだろう"
みたいに探るだけにしています。
「治してやろう」
とは、こっちのワガママな感情であり、その選択した方法は、そぐわないかもしれない。
術者は何も考えない方がいいのでは…
と思います。
ご飯何食べよう
あのカフェが良かったよ
次の休みは何して遊ぶ
あれが欲しいなー
なんて、たわいもない話しをしてる方が、クライアントさんが勝手に良くなる。
自然とは、「余計」を省くことでもあるかもしれませんね。
そんな事を考えながら、今日の休みを過ごしています。